投稿日:2025年8月吉日|カテゴリ:季節のこと

お盆と和菓子のおはなし

帝塚山本店では、お盆の時期だけお出しする、特別なお団子をご用意しております。
一般には、十三日の夜に迎え火を焚いて祖先の御霊をお迎えし、十六日に送り火を焚くとされています。

ご先祖さまが年に一度、遠い世界から戻ってこられる──
そんな静かで神聖な時間にそっと添える、やさしい甘さのお団子は、心を結ぶ小さなお供えです。

子どもの頃、お盆のあいだは小さな虫でさえ殺してはいけないと教わり、「それはご先祖様かもしれないから」と言われたことを覚えています。
そのとき見た、静かに灯る盆提灯の青白い光が、なぜかとても清らかに感じられたものでした。

盆提灯

お盆には「地獄の釜の蓋が開く」とも申します。
それならばご先祖様は地獄で苦しんでいらっしゃるのか──と、子どもながらに不思議で、少し悲しく思ったものでした。

けれど、お盆の和菓子には、そうした想いをそっとやわらげてくれる力があります。
ひとつのお団子に込めた「祈り」と「ぬくもり」が、ご先祖さまへのまごころとなって、今年もまた私たちの手のひらに戻ってきます。

「盆」とは盂蘭盆会(うらぼんえ)の略であり、「ウランバーナ(逆さ吊りの苦しみ)」というサンスクリット語に由来するとされます。
その教えは、『仏説盂蘭盆経』というお経に記されており、釈尊の弟子である目連(もくれん/目犍連)が餓鬼道に堕ちた母を救おうとした説話が描かれています。

目連は痩せ衰えた母にご飯を差し出しますが、母がそれを口にしようとすると炭になってしまい、食べることができません。
お釈迦様に相談すると、「それは汝一人の力に非ず」と説かれます。
すなわち、母の罪が重く、修行僧たちの協力が必要だというのです。

七月十五日は夏の修行(夏安居)の終わり。
この日に多くの供物を僧侶に施せば、その功徳によって父母や祖先七代が救われる──そう教えられ、目連はその通りに行ない、母は救われたと伝えられています。

この逸話により、お盆には僧侶への施し(布施)を行い、父母の恩に報い、先祖の福楽を祈るようになったのです。
とはいえ、現代の私たちにとって「施しがなぜ親孝行になるのか」という点は、やや難解に映るかもしれません。

仏教における施しとは「喜捨(きしゃ)」──つまり、自らの欲を手放す修行でもあります。
僧への供養を通じて自分が善行を積み、その功徳をもってご先祖をお慰めするという考え方です。
「御供(おそなえ)」もまた、自分自身の修行であり祈りなのです。

お釈迦様ご自身は、霊魂や死後については多くを語らず、「いま生きている私たちの苦しみ」からの解放を第一に説かれました。
けれど、今を生きる私たちが誰かを思い、手を合わせるとき、その静かな祈りのかたちとして、お団子やお菓子がそばにある──
それは、福壽堂秀信が大切にしてきた「こころ」の形そのものかもしれません。

仏像

ご先祖様をお迎えし、しばし共に過ごし、そして送り火でお見送りするお盆──
この風習は、仏教伝来以前からあった祖霊信仰や夏の感謝祭とも重なり、奈良時代には宮中行事としても定着していきました。

畑の収穫物である茄子や胡瓜を使った精霊馬、収穫された麦の団子などが御供として用いられました。やがて砂糖が貴重品ではなくなると、落雁などの甘味が供物に添えられるようになります。

精霊馬は、キュウリの馬は「早く帰ってきてほしい」、ナスの牛は「ゆっくりお帰りください」という祈りが込められたもので、昔ながらの夏の風物詩でもあります。

供物

福壽堂秀信でも、お迎え団子やお見送り団子として、素朴でやさしい甘さのお団子をご用意しております。
甘さは控えめながら、口に含むとどこか懐かしさが広がる、そんな一品です。
一つひとつに、皆さまの大切な想いがそっと込められますように。

盂蘭盆会に関する読みもの・外部リンク

暑さの盛りに、心静かに来し方と行く末をおもう季節──
一つのお団子に、やさしい灯火のような祈りをこめて。